まずは、鳴尾八幡神社境内にある「砂浜神社と文房四神之碑」の写真を載せておこう。


室町時代に神興に騎馬で供養したという伝承を持つ”馬家”のうち辰馬興三左衛門家は本町通りに住み、西宮神社の有力な氏子だった。
4代目・辰馬興三左衛門義重(主計)が、浜東町で酒造業や廻船業をはじめ、、1738年(元文3年)から鳴尾村中津に砂浜神殿の開発を始め、1739年(元文4年)には、砂浜明神社(砂浜神社)を勧進し、自ら神主になった。一時期は多数の寄進もあったようだが時代が進み、明治時代には無格社となり大正時代に文房四神之碑と共に鳴尾八幡神社に合祀された。
(以上、鳴尾八幡神社の説明文より)
現在、中津浜や新田砂浜という地名は無くなっているが、僅かに「中津浜線」「中津墓地」とか「砂浜公園」という名前に昔が偲ばれる。































